2016年12月4日 礼拝メッセージ
クリスマスの奇跡 ルカ1章26~38
イエスさまの誕生は人類の歴史を貫く最大の奇跡です。これから3週を通して、イエスさまの誕生を詳しく見ていきたと思います。
それは、何も存在しないところから、超自然のいのちと約束と希望を私たちにもたらして下さった出来事だからです。私たち人間の罪の歴史から、罪赦されるというアバ父、父なる神さまの人類救済の計画が成就したということです。
心や想いやたましいの中に、いのちと愛が、あるいは、希望や忍耐が途切れてしまった人々に、人生を歩む者に生きる希望を与えれて下さいました。イエスさまの誕生は世界の人々の未来に対する大きな羅針盤となっています。
私たちは、有限的な存在です。
私たちはいつしか、この世での役割を終えて天に帰ります。
しかし、神さまは無限の存在です。全ての天地を創造されたお方の計画を持っていました。
その計画は、神さまが愛してやまない私たちの罪から解放されるために、父なる神さまがこのイエス・キリストを私たちの罪の赦しのために来て下さった。それがクリスマスの唯一の意味です。それ以外の意味は何もありまぜん。
御言葉を聞きます。
ルカ1:26
26、ところで、その6か月前に,御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところから来た。
27、この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤと言った。
28、御使いは、はいってくると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方、主があなたとともおられます。
29、しかし、マリヤはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何をあいさつかと考え込んだ。
マリヤは、この御使いの声に、おどろきと戸惑いの中に一気にはいてしまいました。突然に御使いが目の前に現れて、これはいったいなんのことだと、思うのは当然なことです。マリヤはあり得ないことだと思ったに違いありません。
マリヤは13才か14才と学者は語ります。
このマリヤは神さまの奇跡を体験した、一人です。
超自然的出来事は、この世の出来事ではあり得ないことを指しています。
マリヤは、普通の女性でありました。普通の女性を神さまは選ばれました。
ヨハネ1:46
46、ナザレから何の良いものが出るだろう
このようにナザレは、辺境の地です。
まさか、神の子が、どうしてそのような町から出るはずがない。
しかし、神さまは、最もふさわしきない町をお選びになりました。
神さまの考える領域は、私たちが考える領域とはまったく違うことを知らされます。
30、ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
31、その子はすぐれた者となり、いと高たき子と呼ばれます。また、神である主は彼にその地ダビデの王位をお与えになります。
32、彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。
34、そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことをなりえましょう。私はまた男の人を知りませんのに。」
35、御使いは言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたを覆います。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
36、ご覧なさい。あなたの親類のエリザベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに、今はもう6か月です。
37、神にとって不可能なことは一つもありません。お
38、マリヤは言った。「本当に私は、主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉どおりにこの身になりますように。」こうして御使いは彼女に彼女から去って行った。
34、そこで、マリヤは言った。「どうしてそのようなことをなり得ましょう。」。
35、御使いは言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力の力があなたを覆います。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
この御言葉は、神さまが最初にこの地上に創造されたアダムとエバがサタンの誘惑にだまされて、神さまの約束を破ってしまった時から受け継がれた「罪」を持った人間のために、処女マリヤに神さまが用いられたのです。ここに、イエスさまが罪なき人間となって来られる条件は、罪を取り除くためには、罪を持たない存在者、本物の子どもが処女の胎の中から生まれる。イエスさまでありました。生物学的には絶対にあり得ない出来事がここで起こっています。
イエスさまが地上のすべての人々に罪の赦しを与える条件は、罪なき人でなければなりません。
処女マリヤの胎に聖霊さまが臨んで妊娠しました。まったき条件をもって、父なる神さまがなさった。超自然的な出来事として、完璧でありました。このことをしっかいりと握って下さい。クリスチャンはこの完璧の中に置かれています。
ハレルヤです。
ヨハネ3:16
16、神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
この御言葉は聖書の中の聖書の御言葉です。
神さまの愛が凝縮されている御言葉です。
人間の生きる柱の御言葉。
希望の御言葉。です。
37、神のとって不可能なことは一つもありません。
38、マリヤは言った。「本当に、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおこなうとおりこのこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
これがクリスマスの出来事です。
今日学ぶ第二番目
旧約聖書と新約聖書の間は400年の空間になっています。旧約聖書の最後は、マラキ書です。そして新約聖書が始まるまでに、400年間、何も記録されていません。
学者は、この400年を神が沈黙したと云うのです。
本当に神さまは沈黙したのでしょうか。
ルカ:2:25~38
25、その時、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上に留まっておられた。
26、また、主キリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
27、彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。
28、するとシメオンは幼子を胸に抱き、神を誉めて言った。
29、「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、御言葉どおり、安らかに去らせてくださいます。
30、私の目があなたの御救いを見たからです。
31、御救いあなたが、万民の前に備えられたもので、
32、異邦人を照らす啓示の光、
御たみイスラエルの光栄です。」
33、父と母は、幼子についていろいろ語られることに驚いた。
34、また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。ご覧なさい。この子はイスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
35、剣があなたの心の思いさえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。
36、また、アサル族のバヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。子の」人は非常に年を取っていた。処女時代のあとの7年間、夫と共に住み、
37、その後やもめになり、84才になっていた。そして、宮を離れず」、夜も昼も断食と祈りをもって神に仕えていた。
38、ちょうどこの時、彼女もそこにいて、神に感謝を捧げ、そして、エルサレムの贖いを、待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。
39、さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分の町ナザレに帰った。
このシメオンとアンナの二人が記されています。
二人は預言者です。
突然に400年の沈黙から目覚めたのではありません。
歴史は400年間、何もなかったのでしょうか。
ここは、イエス・キリストの誕生の知らせが隠されていることを洞察する必要があります。
まず、歴史的には、その時代、ギリシャ帝国が起こり、アレキサンダー王が君臨していました。
イスラエルはギリシャ帝国の支配の中にいました。イスラエルは多くの他国家に支配されています。
先程、シメオンとアンナの名前が記されています。シメオンは、「主のキリストを見るまでは、決して死なない」と、聖霊さまが告知したと記されています。
25、シメオンに聖霊さまが臨んで、この子が待ち望むんでいた。マリヤの胸の中で赤ちゃんが、あなたがたが待望した。救い主であることを示したと記さています。
この二人は、400年間、メシア待望を待ち望んでいた人々がいたのです。
シメオンは幼子がやがてやがて人々からどういう受け止めかたをされるかについて預言をします。
シメオンもアンナも非常に年とっていました。
ですから、シメオンもアンナも、この400年間に生まれたことが分かります。
この二人がメシア待望をしたと云うことは、この400年間に多くの神さまの働き人がいたことは容易に分かります。
母マリヤが喜びに満たされている時、母マリヤ対して言われました。
「この後、イスラエルの多くの人々から拒絶される幼子のために、マリヤは多くの悲しみと苦しみに耐えなければならない。それは、30年程後にイエスさまが十字架上で処刑されるのを目の前で見ることになるからである。」
愛するみなさん。
さらに、シメオンは幼子の将来を預言して、その苦難を語っていますが、その苦難は『定められている。』事であった。
イエスさまの地上における生涯は、苦難の道、十字架への道であることを知っておいてください。
つまり、イエスさまの地上における誕生は、死に向かっての誕生でありました。
さて、400年の問題です。
シメオンとアンナは年を取っていました。このことは、シメオンもアンナもこの400年の後半に地上に生まれたのです。このことは、400年間という長い期間も、神さまが預言者を起こし、いやしのみわざや、主の働きが面々と継続されて来たことを知ることが出来ます。神さまは、旧約聖書のこの期間も新約の時代まで、現代に至るまで同じ働きを、神の器を起こしていたことを意味します。
アーメンですか。すごいですね!
イスラエルの人々は旧約の時代の預言者のことばは知っています。
まして、シメオンとアンナは、専門家ですから、救い主が来られることは熟ししていました。イザヤ書、ミカ書からイエス誕生が預言されています。
イザヤ:7:14
14、それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女が身ごもっている。そして、男の子を産み、その名は「インマヌエル」と名づける。
ミカ書5:2
ミベツレヘム・エフラウムよ。
あなたはユダの氏族の中で最も小さなものだだが、
あなたのうちから、わたしのために、
イスラエルの支配者になる者が出る。
その出ることは、昔から、
永遠の昔から定めである。
さて、シメオンがマリヤに語ったことは、イエスさまが十字架におかかりになることを預言しています。
長いのですが、イザヤ:53:4~12をゆっくりと読みましょう。
イザヤ:53:5~10
4、まことに、彼は(イエスさま)私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5、しかし、彼は、
私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎の(罪)のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6、私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
7、彼はいためつけられた。
かれは苦しんだが、口を痛めつけられた。
ほふり場に引かれて行く雌羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌のように、
彼は口を開かない。
8、しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、誰が思ったことでだろう。
彼が私の民のそむきの罪に打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
9、彼の墓は悪者どもに葬られた。
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、その口は欺きはなかった。
10、しかし、彼を砕いて、痛めることは
主の御心であった。
もし、自分のいのちを
罪過のためにいけにえとするなら、
彼は末永く、子孫を見ることが出来、
主の御心は彼によって成し遂げられる。
11、彼は(イエスさま)自分のいのちの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
私の正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎(罪)を彼が担う。
12、それゆえ、私は、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物として分かちとる。
彼れが自分のいのちを死に明け渡し、
そむきいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしとする。
この預言は成就したのが、このクリスマスの奇跡と表現して良いのです。
先週からアルゼンチンでの証しをしていますが、
神さまの超自然的力は、すさまじいものでした。
アナコンディア師の伝道集会で、一人の女の子がいました。4才か5才くらいでしょうか。車椅子に座っていましたが。その子は両親が手をもって立たせたのです。静かに歩いて、進んで行きました。その子は次第に早く歩きはじめ、いやしを紹介する時に、ステージに上がる階段も上がって行きました。目の前でその超自然的な聖霊さまの力で立ち上がりました。私たちの目の前で起きた奇跡です。
アナコンディア師の伝道集会は、私が経験したものとは全く違いましたした。
賛美する者は先頭に立って、悪魔悪霊どもに総攻撃する神さまの戦士として前線で戦いをしています!戦いです!
次に、とりなしの祈りが背後で働く敵を打ち破ります。アナコンディア師がステージに上がると、一斉に激しいとりなしの祈りが始まります。それは、アナコンディア師の背後で、悪魔悪霊どもと闘かう激しい祈りです。これも前線のとりなしのテントはそのためにあります。これも前線で戦う戦士たちです。次々と悪霊の名前を上げて行くのですが先生は悪霊の名前を上げて激しく命令をしています。イエスの御名で出て行け!すると、悪霊現象起きた人は、解放のテントに行きます。ある者は立ち上がれずに、3人くらいの男性が抱え込んでテントに運ばれて行きます。解放のテントに運ばれて来る人々は、二人のチームがカウンセリングをします。
前線から連れて来た人は、悪霊から解放される時、ある人は嘔吐したりしますが、カウンセリング・チームは、ここで、解放のテントに運ばれた一人一人を歓迎し、祝福し、教会へ行っていない方々に、教会を紹介していくのです。
この伝道集会は、アナコンディア先生のワンマンショーではありません。アナコンディア先生をリーダーとした、総力を上げて、悪魔悪霊どもを縛り、ひとりのたましいの救いを心から願い、救われたならば、それを共に喜び会う信仰の戦いだったのです。いやしの祈りは、聖霊さまがなさいます。本物のいやしは、イエスさまを心の中に受け入れてクリスチャンとされることです。肉体の病がいやされることおも祈ります。すると、ぞくぞくと癒しがおころます。へりくだった心、信仰です。誰も神さまの、前では小さなしもべです。私がもっていた概念が全て崩壊しました。それが感謝だったのです。本で読んだ理解は狭いですね。実際に行って分かる。それが、一番の感じました。私は以前の自分とは、まったく変えられました。それが、一番の聖霊さまからのご褒美でした。感謝でした。
アナコンディア先生は、信徒です。ですから、先生は謙虚に教会へ行きます。
わたしたちと、その教会にも案内されました。
これら全ては聖霊さまの超自然的な働きです。
みなさん。祈って下さい。どんな言葉で良いですから、祈って下さい。最初の愛する父なる神さま。あなたの御名を賛美します。と。あとは具体的なあなたの心で思ったことを言葉に出して下さい。
私たちの教会は沢山の人々が必要です。特に、ピアニストです。とりなし者です。チームが出来ることを祈っています。
私たちの教会は、この悪魔悪霊どもと闘う教会です。
誰もが、主の祝福に預かるように祈る教会です。
そして、このガラテヤ書に書かれている御言葉をいつも大切にしていく教会です。
ガラテヤ5:22、23
22、しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。
祈ります
愛する父なる神さま、今日の礼拝の中で聖霊さまがいやしの霊を下して下さったことを心から感謝いたします。教会には多くの病んでいる方が沢山おられます。教会がいやし、悪霊からの解放を目指す教会として、御言葉から学び、一人ひとりが霊・肉の健康に歩んで行く教会として存在していく中でここ清水23万の救いへと向かって行くことが出来ますように、聖霊さま。わたしたちを訓練し、強く成長させてくださいますことを祈ります。また、これから歩む1週間を守ってください。よき1日、1日でありますようにお願いします。霊的戦士として私たちを強くしてください。この祈りをイエス・キリストの御名によって祝福し祈ります。 アーメン